レイクウッドの森

アルバートファンによる不朽の名作「キャンディ・キャンディ」の二次創作ブログです。

愛 の 夢 ⑨

キャンディがポニーの家に帰ってから3週間が過ぎた。
人の噂など、そう何日ももつものではない。
一時は社交界中が大騒ぎとなったスキャンダルも、最近は人々の口に上ることもあまり
なくなってきた。
キャンディの懐妊が表立っては伏せられていたこと、今回ピエロを演じさせられたアルバートが外ではいつもと変らない様子で過していたこと。
それらが噂好きな人々の興味を失わせた要因だろう。
だが・・、世間は忘れても当事者達が負った深い傷は簡単に癒えるものではない。
アルバートの右手に巻かれた小さな包帯。
それに気がついていたのはアーチーとジョルジュ、エルロイくらいのものだろう。


そんなある日、アードレー家に来客があった。
「ウィリアム様。スコット・ディルマンという方がウィリアム様にお会いしたいと・・。」
「ディルマン?あのディルマン家の?」アルバートが首をかしげた。
「はい。キャンディス様のことでお話があるそうです。」
そう言うとジョルジュはアルバートの顔をうかがった。
「キャンディの・・?」
アルバートはしばらく言葉を噤み、やがて
「申し訳ないがお話することはない・・と、お引き取り願ってくれないか。」


その時、スコットが強引に部屋へ入ってきた。
「アードレーさん。僕の話を聞いて欲しい。」
「妻のことでお話することは何もありません。どうぞお引き取り下さい。」
「いや、あなたは僕の話を聞かなくちゃいけない。あの写真を撮ったのは僕なんだ!!」
スコットが叫んだ。


アルバートもジョルジュも言葉を失った。
しばらくの間沈黙していたアルバートだが、やがて静かに言った。
「どうぞお掛けください。お話を伺いましょう。」


スコットは一息つくと話し始めた。
「僕はスコット・ディルマン。風景カメラマンです。」


あの日・・・。
僕は妹のデイジー、ラガン家のニール、イライザ兄妹と共に四人で昼食を取っていた。
妹のデイジーがずっと以前からニールに好意を持っていて、最近またイライザのはからいで仲を取り持とうということになって、僕も可愛い妹のために協力したんです。
食事の後、イライザと僕は気をきかせて二人で店を出た。
イライザをラガン家まで送り届けるため、馬車を拾おうと通りを歩いていたんです。
そうしたらイライザが急に立ち止まり、もの凄い形相で通りの向うのカップルを見ていた。
初めは誰だかわからなかったけど、すぐにそれが人気俳優テリュースとアードレー夫人だと気がついた。
風景ばかり撮ってはいますが、だてにカメラマンはやっていませんからね。
するとイライザが不気味な笑みを浮かべて言うんです。
「あの二人をつけて!」
何を言い出すのかと思ったけれど妹のデイジーのこともあるし、僕は言われるまま彼女と一緒に二人の後をつけたんです。


その後のことはあの写真の通りです。
二人が抱き合った時、イライザに写真を撮るように言われその通りにしました。
そして後日、その写真を現像して彼女に渡しました。
イライザがあんなことをするとは夢にも思わなかった。
ただ一族の体面を気にして、こっそりと夫人に忠告するためだと思っていたんです。
これじゃゴシップ記事のカメラマンと変りやしない!
僕のプライドは傷つき、そしてまた自分の甘さを思い知った。
僕が写真を撮っているのは人々の心に安らぎを与えたいからであって、決して誰かを傷つけるためではないんだ!
だが・・騒ぎに驚いたが、僕も一枚かんでいたのでけっきょく何も言えなかった・・・。

 

そこまで話すとスコットはフーッと深い息を吐いた。
黙って聞いていたアルバートがスコットに尋ねた。
「それがなぜ今頃、私に話す気になったのですか?」


スコットは再び話し始めた。


この前、ポニーの丘に行ったんです。あなたもよくご存知でしょう?
実は夏にあそこの丘の風景を撮ったことがあって、とても気に入ってたんです。
それで今度は冬の風景を撮ってみようと思って・・・。
行ってみると思った通り、素晴らしい光景だった。
雪の中に凛とした大木が立っていて、神々しいばかりの風景でした。
そしてその木に近づいてみると・・・僕は雪の精を見たかと思った。
大木の下に、触れればそのまま消えてしまうのではないかというくらい儚げな表情の女性が立っていたんです。


何とも言えず悲しそうな顔をしていた。
遠くを見つめるその目には何も映っていない。
ただ儚げにじっとじっと、長い時間遠くを見つめ続けていた。
彼女は丘の向うにいったい何を見ていたんだろう。今でもそう思います。


あまりにも悲しそうな表情のその女性がアードレー夫人だと気がつくのに、長い時間が
かかりました。
以前パーティで見かけた明るく、くったくのない笑顔はどこにもなかったから・・。
後で知りました。彼女があの孤児院の出であることを・・・。
やっと見つけた彼女の幸せを僕の撮った写真が壊してしまったんです。

 

アルバートは何も言わず、ただ黙って聞いていた。

 

僕は本当のことをあなたに話さなければと決心したんです。
あの日、確かに彼女とテリュースは写真の通り抱き合っていた。
けれど写真だけを見ればそうだが、あの場の全てを見ていた僕にはどうしてもあの二人が恋人同士には見えなかった。
彼女は静かに抵抗しているようでした。
会話はよく聞こえなかったけれど、最後の彼女の言葉だけはハッキリと僕の耳に届いた。


「お願い!私はアルバートを愛しているのよ!」


彼女はそう言いました。
そう言って彼の手を振り解き、走り去って行きました。

 


スコットはそう言ったきり黙り込んでしまった。
それは、まるでアルバートの反応を見るようだった。


アルバートはまだ言葉を発しない。
ジョルジュも心配そうにアルバートの反応を待っていた。


永遠に続くのではないかと思われるくらい長い時間が経った。

 

愛 の 夢 ⑧

それから数日間、キャンディはずっとベッドに臥せったままだった。
襲いくる激しい嘔吐感。つわりなのだろう。
いつも辛い時、必ずそばにいてくれた人は今はいない。


「キャンディ、大丈夫かい?」
そっと部屋に入りながら、気遣うようにアーチーが尋ねた。
「アーチー、来てくれたのね。大丈夫よ。さっき、アニーとパティも来てくれたのよ。
大おばさまやジョルジュも来てくれたんだけど、みんな私のこと腫れ物に触るようだったわ。可笑しいでしょ?」
儚げな表情が痛々しくて見ていられない。
「キャンディ・・。アルバートさんは?」

アーチーは掠れた声でかろうじてそう訊いた。
「彼は・・来ないわ。」キャンディは寂しそうに呟く。
(やっぱり・・・。)
せめてアルバートが声をかけてくれたらと、そう思っていたのだ。
「ねぇ、アニーとはどうなっているの?あなたもアニーが好きなんでしょう?」
急なキャンディの言葉に彼は面食らった。
「確かに好きだよ。彼女はずっと僕を見続けてくれた。だけど、僕は・・・。」
「ねぇ、アーチー。物語のように『幸せの青い鳥』はすぐ自分のそばにいるものよ。私にとってアルバートがそうだったように、アーチー・・、あなたのすぐそばにもきっといるわ。でももう、私の鳥はどこかへ飛んで行ってしまったのかしら・・。」
今にも消えてしまいそうなキャンディの姿にアーチーは、一瞬彼女をこの腕に抱きしめたい衝動に駆られた。
(このまま彼女を攫って逃げようか!)


なにをバカなことを・・・。
アーチーは一瞬浮かんだ馬鹿げた考えを一蹴した。
キャンディは一度だって友達として以外、僕を見たことはなかった。
アンソニーが死んでもテリィと別れても、そして今アルバートさんとの愛が消えかけていても、これからも彼女にとって僕は親友以外、決してありえないのだ。


アーチーは柔らかい微笑を一つキャンディに投げかけた。
今、やっとわかったような気がする。
長い間心に秘め続けてきた想いが、やっと昇華されるような気がした。


「キャンディ、以前君は言ったね。『私達はいつまでも最高に素敵なお友達よ。』って。今、僕もそう思うよ。僕達はどんな時も一番の友達なんだ。君と出会えて本当に良かったよ。」
「私はいつだってあなたと出会えて良かったと思っているわ。」
今、二人の間にあるものは本物の友情。
優しく夕日が部屋に射し込み、やがて二人を暖かく包んでいった。

 

相変わらずアードレー家の重苦しい空気は変らない。
アルバートは必要以外、自室に籠りがちになった。
そんなある日、アーチーが慌てたようにアルバートの部屋に飛び込んできた。


アルバートさん!大変だ、キャンディが!」


急きたてられるようにキャンディの自室に赴くと、テーブルの上に手紙とあのエメラルドの指輪が置かれてあった。
手紙の宛名はアルバート
アルバートさん。キャンディは何て?」
アーチーは手紙を読むアルバートを急かした。
騒ぎにジョルジュも駆けつけて来る。
手紙をそっとポケットにしまうとアルバートは「キャンディはポニーの家に帰るそうだ。」
一言そう言った。
「ポニーの家に?あんな身体なのに?アルバートさん、すぐに彼女を迎えに行くんでしょう?」
アルバートは黙っていた。
アーチーもジョルジュもなぜアルバートが動かないのか不思議だった。
「ウィリアム様?」
堪りかねたようにジョルジュが声をかける。
「彼女なりの考えがあってのことだろう。今はそっとしておくよ。」


その言葉にアーチーの怒りが爆発した。
「キャンディがどんな思いでポニーの家に帰ったかわかるだろう?周りがみんな酷い目で彼女を見て。唯一の頼りである貴方に見捨てられたら、キャンディはいったいどうしたらいいんだよっ!」
「アーチーボルト様。お止め下さい!」
ジョルジュがアルバートに掴みかかろうとするアーチーを必死で止めた。
「一人にしておいてくれないか。」
アルバートの言葉にもう誰も何も言うことは出来なかった。

 

アルバート。あなたとこうしているなんて夢のようだわ。
ずっとこの幸せが続くかしら?”


アルバート。一人で寂しかったわ。早く帰ってきてくれてありがとう。”


アルバート。あなたを愛しているわ。本当よ、愛して・・・。”


「キャンディ・・。」
お互いの愛と信頼を確かめ合った日々。
あれはまぼろしだったのか?
確かに手に入れたと思ったのに・・、夢は夢でしかなかったというのか?
どうして皆、僕を強い人間だと言うのだろう。
悲しみ、怒り、嫉妬・・・。
当たり前のように人が持っているその感情を、どうして僕が持つことを許されないのだろう。


「僕だって一人の人間なんだ!!」


アルバートの拳が思いっきり壁掛け鏡に叩きつけられた。
滴る血・・・。
ひび割れた鏡・・・。
そこに写った自分の姿・・・。
ひび割れた自分の顔をじっと見つめる。
うつろな目。これが今の本当の姿なんだ。
愛する者の裏切りへの悲しみ、怒り・・そして愛する人を奪った者への嫉妬。
「キャンディ・・。それでも僕は君を愛することを止められないよ。」
拳に流れる血。
それはアルバートの心に流れ続けているものなのかもしれない。