愛 の 夢 ⑤
キャンディはどうやって屋敷に帰ってきたのか覚えていない。
ただテリィから逃れるため、夢中になって走った。
(テリィ、どうしてなの?)
何度も何度も心の中のテリィに問いかける。
予期しない突然の再会。
その日、彼女の心は乱れに乱れた。
次の日の朝、目覚めたキャンディは昨日のことが夢だったのでは・・と思った。
そっと唇に手をやる。
今でもテリィの唇の感触が残る。
(いいえ、あれは夢ではなかったんだわ。)
テリィのキス・・。
初めは五月祭のとき。そして昨日。
彼のキスはいつでも強引だ。
それでも、いつもその熱っぽさに心をかき乱される。
窓の外はまた雪が舞っている。ひらひらと舞う粉雪。
ロンドンの聖ポール学院での日々。
もう何年前になるのだろう。
“ターザンそばかす”
テリィの懐かしい声が響く。
“ニューヨークにストラスフォード劇団というシェイクスピア専門の劇団があるんだ。 将来、できればそこに入団したいと思っている。知ってたかい?ストラスフォードっていうのはシェイクスピアの生地(注)の名前なんだ。その劇団の団長がロバート・ハサウェイというんだが、シェイクスピアの妻アンの姓がハサウェイなんだぜ。偶然だろうが出来すぎだと思わないか?あはは・・。”
“クスクス、本当なの?笑っちゃうわねぇ。でも、ロンドンにもいっぱいいい劇団があるのにわざわざニューヨークに行きたいなんて。やっぱりテリィはお母さんに会いたいのね。”
“な、なんだって?そんなわけないだろ。こいつ~、俺をからかったな。そんなことをしたらどうなるか、思い知らせてやるぞ!”
“あはは。テリィったらやめてよ~。”
スコットランドでのサマースクールの思い出がよみがえる。
キャンディとテリィが一番幸せに過した輝かしい思い出の時間だ。
「奥様。あの、これを・・・。」
突然、過去から現実に引き戻された。
メイドの一人が一通の手紙を持って来たのだ。
「手紙?宛名がないようだけど。」キャンディは不思議そうに尋ねた。
「はい。実は外で奥様に渡してくれと頼まれたんです。」
「外で?そう、ありがとう。」
訝しげに手紙を受け取り、裏を見ても差出人はない。
キャンディは怪訝に思いながらも中を覗き、手紙を開いた。
キャンディ。
昨日は悪かった。もう一度、君と会って話がしたい。
俺は今夜、ニューヨークに帰らなければならない。
下に宿泊先を書いておく。来てくれないか。
T・G
「テリィ。どうして・・。」
懐かしい時間が再び駆け巡っていった。
“ターザンそばかす。キャンディ・・・。”
もう一度テリィの声が響く。
“おチビちゃん。キャンディ・・・。”
今度はアルバートの声が響いた。
じっと目を閉じていたキャンディは真っ直ぐに顔を上げ、その目をしっかりと開いた。
そして何かを決心するように、その手紙をそっと暖炉の火にくべた。
「おい、テリィ。もうそろそろ出発しないと列車の時間に間に合わないぞ。」
団長のロバートがテリィを急かした。
「・・・。はい。今、行きます。」
(キャンディ。君は来てくれないんだな。君にとって俺はもう・・・。)
テリィは小さな鞄を手に取り、部屋を出た。
バタンとドアが閉まる。
それは二人を永遠にへだてる音だったのかもしれない。
その日、シカゴにあるゴシップ専門の雑誌社に一通の封筒が郵送されて来た。
「おい、ハリー。ちょっとこれを見てくれないか?」
そう言って差し出したのは数枚の写真。
そこに写っていたのはストラスフォード劇団の看板俳優と名門アードレー家総長夫人の抱擁シーン。
「おい、これはいけるぞ!」ハリーは叫んだ。
「この二人の過去を徹底的に調べてくれ!」
注:Stratford upon Avon
日本語読みはストラスフォード、ストラトフォード・・といろいろのようです。
原作では漫画がストラスフォード、小説ではストラトフォードになっていますが、ここでは漫画に合わせてストラスフォードと表記しました。