レイクウッドの森

アルバートファンによる不朽の名作「キャンディ・キャンディ」の二次創作ブログです。

花咲くポニーの丘で ②

キャンディはしばらくの間、ポニーの家へ戻って行く子供達を見守っていた。

「子供ってときどき突拍子もないことを言い出すのよねぇ」
子供達を見届けると呆れたように言う。
「子供は純粋だからね。あんがい大人には見えない目をもっているものなんだよ」
「え?」キャンディには何のことかよくわからない。
「いや、なんでもないよ。大人になるってことはそれだけ失うものも多いってことさ。それより久し振りに木に登ってみないかい?」
ポニーの丘には遠くまで見渡せる大きな高い木があった。

小さい時から悲しいこと、辛いことがあるとよくその木に登ったものだ。
そして遠くの広い世界を見渡しているうちに、自分の悲しみがちっぽけなものに思えてくるから不思議だった。
キャンディはそんなことを思い出し、ニッコリ笑うと「木登りもいいけどポニーの家に来ない?先生達も喜ぶわ。キャンディ特製コーヒーを入れるわよ」とウィンクしてみせた。
「それはとっても魅力的な申し出だけど僕はここでいいよ。自然の空気と鳥のさえずり、木々のざわめきや草花の匂い。今の僕にはなかなか味わうことのできない時間がここには流れている」
アルバートさん・・」

そうなのだ。誰よりも一番自然を愛する彼が今は厳しい実業界に身を置いている。
本当にこれで良かったのだろうか。彼は今、幸せなのか?

そんなキャンディの憂いを敏感に感じ取ったのか、明るい声でアルバートが言った。
「大丈夫!子供達のお土産はちゃんと用意してあるよ。今頃、届いているんじゃないかな」
アルバートさんったら。さあ、どっちが早く登れるか競争よ!」

 

今、二人は大きな木の上で新鮮な空気を胸いっぱい吸い込んでいた。木登りの勝負はつかなかったようだ。
「ところでアーチーはどう?立派にアルバートさんの補佐を務めているのかしら?」

アーチーは今、アルバートの補佐としてアードレー家の事業に携わっているのだ。
「彼はなかなか筋がいいよ。鍛えれば、きっといい実業家になれると思う。大おじさまの正体を明かしてからは仕事が山のように舞い込んできて、さすがのジョルジュも一人で補佐は無理なところまできてるんだ。アーチーが手伝ってくれればとても助かるよ」
頼もしそうにそう言う。
「そう、良かったわ。アーチーも自分の道を見つけた・・と喜んでいたし、私も嬉しい。だいたいアルバートさんは働きすぎよ。身体壊したらどうするの」
「おや、心配してくれるのかい?でも、ここに優秀な看護婦がいるからね。イザという時は安心だよ。それに・・・君が看病してくれるのなら、少しくらい休養するのもいいかもしれないね・・・」
アルバートは優しい目でキャンディを見つめた。

(なんでそんなことを言うの?アルバートさん。)
アルバートの眼差しになぜかドキドキするキャンディだが、その理由には気付いて いない。
「マーチン先生に言ったら強制入院させられるかもよ」
「あはは、マーチン先生は元気かい?」
「えぇ、相変わらずよ。毎日患者さんそっちのけで知恵の輪と格闘しているわ」
「おいおい、大丈夫なのかい?」
アルバートの慌てた顔にキャンディはクスクス笑う。
「ウソよ。知恵の輪は本当だけど・・。アルバートさんに会いたがっていたわ。こんな立派な病院を建ててもらったのに、まだちゃんとお礼も言っとらんってね」
「お礼なんて必要ないさ。それを言うなら僕なんてどれだけ世話になったことか。本当に感謝しているよ、君とマーチン先生には・・」
あの頃のことを思い出しているのだろうか。
遠い目をしているアルバートにキャンディが思い出したように声をかけた。

「今ね、ハッピー診療所に入院している感じのいいおばさんがいるんだけど、その人の息子さんが戦地に行ってるんですって。とても心配なさっていたわ。私ね、ステアのことを思い出しちゃった。ねぇ、アルバートさん。戦争はまだ終わらないの?」

 戦争の話になり、アルバートは少し顔を曇らせながら話し始めた。
「去年、中立を保っていたアメリカが参戦してから流れが変り始めたようだ。きっともうすぐ終わるよ。おそらく年は越さないだろう。ただ、終わってももう元には戻らないだろう。去年ロシアの民衆が蜂起してロマノフ王朝が倒れた。多分この戦争が終わったら、ヨーロッパのいくつかの名門貴族は消えるよ。この戦争で世界は大きく変る。キャンディ、僕達は激動の時代を生きているんだよ」
「どうして戦争なんかするのかしら?愛する人を失いたくないのは誰もが同じはずなのに」
キャンディにはどうしても理解できない。
「貴族や軍、一部の金持ち達の欲とエゴさ。そんなもののために犠牲になるのはいつも罪のない普通の人間なんだ」
どうしてささやかな幸せを願う人々が傷つかなければならないのか。どうしてそんな世の中を変える事ができないのだろう。
そんな無力感を抱えながらいつも生きてきた。
(アードレー家の総帥だって?そんなものがいったい人々の何の役に立つというのだろう。)
アルバートが時折見せる苦悩の表情。
記憶を取り戻せないでいたあの頃とはまた違ったものだ。
あの頃は漠然とした失った過去と未来への不安だったが、今はしがらみを断ち切れない自分への苛立ち。

そんなアルバートの横でキャンディはステアに思いをはせていた。
(ステア。この広い空の向うにあなたがいるような気がするわ。戦争はまだ終わらない。愛する者達のために平和な世界を望んだあなたが、なぜこんなに早く逝かなければならなかったの?)
黙っていると涙が出そうになる。
キャンディは悲しみを吹っ切るように明るく話題を変えた。
「ねぇ、この前マーチン先生ったら変なことを言うのよ。アルバートくんは今でも君の兄さんなのかい・・って。ね、変でしょう?だから私、今は父娘よって言ってやったの。その時のマーチン先生の顔ったら・・・」
キャンディはクスクス笑ったが、寂しげなアルバートの横顔には気が付かなかった。

(キャンディ、君にとって僕はいつまでも兄のままかい?このままずっと兄を演じ続けなければならないのだろうか)


静かな時間が過ぎていった。
いつまでもこんな穏やかな時間が続くような錯覚におちいる。

だが、アルバートにはどうしても言わなければならないことがあった。
躊躇している暇はない。残された時間は僅かなのだ。
 「来週シカゴの本宅で、あるパーティがあってね。できれば君にも出席して貰いたいんだ。その時は僕にエスコートさせて欲しい」意を決したようにアルバートが言った。
もう長い間シカゴの本宅には行っていない。なぜ急にパーティなどと・・。
突然のことにキャンディは戸惑った。
アルバートさん・・。ごめんなさい、私あまりパーティは好きじゃないし、きっと大おばさまもいい顔なさらないわ。それに今病院の方も忙しくて、なかなかここを離れられないの」
申し訳なさそうに答えるキャンディ。
「実は、僕は・・・。」

そう言いかけたアルバートの脳裏にさきほどの子供達の会話がよぎった。

キャンディの好きなのは役者のお兄ちゃんだよ。”

(君の心にはまだテリィがいるのだろうか。これからもずっと・・・)
自分はいったいキャンディに何を求めようとしているのか・・・。

「ん?」キャンディが次の言葉を待つ。
 一瞬何か言いたげなアルバートだったが、かぶりを小さく振ると

「いや・・・何でもない。そう言うんじゃないかと思っていたよ。気にしなくていい」

少しの沈黙。憂いを含んだ横顔。いつものアルバートさんと違う?
 妙な違和感を覚えたその時、丘の向うからジョルジュの姿が見えた。
「ジョルジュだわ。」
いつもならアルバートを連れ戻すジョルジュの姿はキャンディにとって辛いものだった。
ジョルジュも「キャンディス様は私のことをまるで鬼のように思ってらっしゃる」と笑いながら言ったものだ。
しかし、なぜか今日は彼の姿を見るとホッとした。
「やれやれ、僕に残された時間はもうないようだね。じゃあ、また来るよ。キャンディ、元気で・・」
僅かに何かを言いたそうだったが、かすかに微笑むとそのまま木を降りてジョルジュの方へ向かって丘を歩いて行った。
アルバートさん、何かあったのかしら?」

キャンディはアルバートの後姿を見つめながら小さく呟いた。


「ウィリアム様にとってはずいぶんと遠い『近く』でございますね。」
歩きながらジョルジュが神妙な顔で言う。
「何のことだい、ジョルジュ。嫌味かい?」アルバートは軽く笑みを返した。
「なぜキャンディス様に会うためだけに来たと正直におっしゃらないのですか? 仕事で近くに来たついでなどと・・」
「・・・・・・。キャンディの気持ちの負担になりたくない。」彼はしばらく考え込むとそう言った。
「では来週のパーティは?このパーティにどんな意味があるのかウィリアム様が一番よくご存知でしょう?このままではウィリアム様は・・・」
「わかっている・・・。でも、彼女の気持ちは彼女のものだ。無理強いは出来ない。」
痛みを押し殺したような表情。
長い間仕えていて、こんな主人を見るのは初めてかもしれない。
「さあ、急ごう!『近く』の仕事場まで200キロもあるんだ。早く行かないと日が暮れてしまう」
憂いを振り切るように笑いながら言うと、アルバートは車に乗り込んだ。